「かなしみぽすと」について

「かなしみぽすと」はあなたの思いを書いた葉書を出せる場所。

 

お近くのポストから投函するときちんと「かなしみぽすと」に届きます。

あなたの手からそっと離れてポストの中に落ちるとき、あなたのかなしみがほんの少し軽くなればと願っています。

 

※お返事はお出ししていません。

※受け取ったお葉書を公開することはありませんので安心してお送りください。

※受け取ったお葉書は、一定期間保管したあと神社にてお焚き上げをいたします。

私たちの想い

今、この瞬間も、その悲しみを抱えつつ生きている

 

 人が人の中で生きている社会で、親しい大切な人を失うことは、避けることができません。また死別以外にも人は様々な喪失を体験します。今、この瞬間も、その悲しみを抱えつつ生きている人が大勢います。

 

 悲嘆者へのケアの大切さについては、昨今の大きな人災や天災を期に多くの人がその必要性を認めるようになり、グリーフケアという言葉も新聞などでも目にするようになってきました。

 しかし、人間として避けられない悲しみが、ケアされなければならないものと認識されてしまうことには注意も必要です。つまり、悲しみを持っている状態が健全な状態ではなく、不自然であったり不幸だということになってしまうと、悲しいという感情は持ってはいけないものになってしまうからです。

 

誰もが人生のどこかの時点で悲嘆者になるのです

 

 本来、悲嘆とは様々なことを通して持つ経験のうちのひとつです。それを取り除かねばならないものだとすることは、人が経験を通して感情を持つという大切な機会を奪うことにもなりかねません。

 

 だからといって、ケアが不要だということではありません。悲しみを抱えている人をそっとしておくことと放っておくことは全く別のことです。誰もが人生のどこかの時点で悲嘆者になるのですから、悲嘆者に無関心な社会は全ての人に冷たい社会です。

 

私たちは、優しい社会へと繋がると、願い信じて活動しています

 

  悲しみを持たない人はいません。それぞれがその人なりの悲しみを抱えて生きています。そして悲しみは出してはいけないものではありません。ただ、現代社会では、その悲しみを出す場所や相手がなく、一人で苦しみやすい構造になってしまっています。それは、個人の問題ではなく社会全体の問題です。

 

 まずは安心して気持ちを出せる場所で、悲しい気持ちを思う存分出してもそのまま受け入れられ、癒された経験を持つ人が増えること。そして自分以外の人の悲しみに寄り添うことができる人が増えること。それが優しい社会へと繋がると、願い信じて活動しています。